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ありがとうございます

投稿者:
ゆかり
投稿日:
2012年03月30日 21時58分09秒

わかりました。
大きな書店ですね。
探してみます。

聖書のご購入について

投稿者:
Meg
投稿日:
2012年03月30日 14時16分05秒

ゆかりさん、ご投稿ありがとうございました。
聖書は全国のキリスト教書店をはじめ、このごろは少し大きな書店ならば、「宗教」などのコーナーにおいているのを見かけますので、お近くで探してみてください。いろいろな日本語訳がありますが、私たち改革派教会で使用しているのは、主に日本聖書協会による「新共同訳」か、日本聖書刊行会による「新改訳」という翻訳です。装丁やサイズもいろいろありますので、どうぞご自分に合う聖書を探してみてください。

聖書を読みたいのですが……

投稿者:
ゆかり
投稿日:
2012年03月29日 20時57分45秒

はじめまして。

私は最近キリスト教を信じ始めたばかりで、まだ未熟者です。そういう人は、まず聖書に目を通したほうが良いと、キリスト教徒である友人が教えてくれました。ですが、私は聖書を持っていません。近くの書店でも買えるものなのでしょうか?

教えてください!!!

takeshiさんへ

投稿者:
Ken
投稿日:
2012年01月18日 13時16分43秒

お返事が遅くなりました。

ローマの信徒への手紙の11章25節、26節は、神様の救いのご計画の枠組みを述べている箇所です。「ユダヤ人が頑なに福音を拒んだために、異邦人に福音が宣べ伝えられるようになった。しかし、異邦人の中で救われるべき人間が全て救われた後に(終わりの時に)、救いはまたユダヤ人へと戻って来る」こういう神様のご計画を述べています。ですから、これは具体的に一人一人の救いがどうなるかということではありません。ただし、28節と29節のところに、こう言われています。
「福音について言えば、イスラエル人は、あなたがたのために神に敵対していますが、神の選びについて言えば、先祖たちのお陰で神に愛されています。神の賜物と招きとは取り消されないものなのです。」
少し分かりづらい文章ですが、イスラエルの人たちがイエス様を信じなかったために、福音が外国人に広がっていきました。福音が全世界に広がっていくためには、このイスラエルの人たちが神様に敵対するということが、やはり必要だったのです。神様の不思議なご計画の中で、イスラエルの人たちには、そういう役回りが与えられていました。しかし、ここでパウロは、もう一つのことを語っています。「確かに福音について言えば、そうなのかもしれない。確かにユダヤ人は神様に敵対している。しかし、選びについて言うならば、またそれとは違うことが言えるはずだ。つまり、神様はこの選びという観点から言うならば、ユダヤ人の先祖を選び、それ以来ずっとこのユダヤ人を愛してこられた。今も愛しておられる!」こう言うのです。「神様の賜物と招きとは取り消されない」これがここでパウロが一番言いたかったことだと思います。
 ユダヤ人に限らず、信じている人が救われることは確信できますが、今、敵対している人や頑なになっている人が救われるかどうかは、私たちには分かりません。パウロも、異邦人に伝道することによってユダヤ人に妬みを起こさせ、なんとかしてユダヤ人にも救いをもたらしたいと、一生懸命、励んでいました。ところが、一向にユダヤ人が救われる兆しが見えてこなかったのです。けれども、パウロは「神様の賜物と招きとは取り消されない」ことに望みをおいて、最後まで諦めることなく、伝道に励みました。ここから私たちが受け取るべきメッセージは、具体的に誰が救われ、誰が救われないかということではなく、私たちもパウロと同じように「神様の賜物と招きとは取り消されない」ことに望みを置いて、愛する者の救いのために、諦めることなく祈り、自分にできる精一杯のことをしていく、ということではないでしょうか。

お答えいただけないのですが

投稿者:
takeshi
投稿日:
2012年01月14日 12時33分26秒

どうしてでしょうか?

投稿者:
takeshi
投稿日:
2011年12月11日 16時43分30秒

聖書に「イスラエルはみな救われる」(ローマ11・25、26)とありますがその理由としてユダヤ人が改宗するからだと書いてあります。しかしユダヤ教を信じたまま死んだユダヤ人はどうなるのでしょうか?キリストを信じていなくても救われるのでしょうか?

それはsacred ignoranceでは?

投稿者:
さくら
投稿日:
2011年11月05日 08時08分24秒

原文は見ていないのですが検索かけたらどうやら元は別の人によるラテン語だそうです。
Docuit nos sacra ignorantia Deum ineffabilem;(聖なる無知は言語に絶した神を我々に教えた)それを直英訳すればどう考えてもコレでせう。

「ピスティス」について

投稿者:
Meg
投稿日:
2011年10月08日 08時58分15秒

匿名さん、書き込みをありがとうございます。
お答えするのが遅くなりました。
ギリシャ語の「ピスティス」には、両方の意味があるそうです。

一般的には、「何かを信仰すること」という意味で理解されいますね。ご覧になったwebの説教文では否定されてしまっていますが、これも正しいのです。

「ピスティス」はまた、その説教文の指摘のとおり、「誰かから信頼され、信用されるにたる事実、現実、有様を指す言葉」でもあります。「ピスティス」が神のご性質を表す言葉として使われている箇所がいくつかあります。コリントの信徒への手紙一1章9節、10章13節、同二1章18節では、「神は真実な方です」と、「ピスティス」を「真実」と訳しています。

このように両方の意味があるので、「ピスティス」を正確に訳すことが難しく、訳者が決めかねて「信仰」としてしまったために、わかりにくくなった箇所がいくつかあります。たとえば、「信仰による義」について記されているローマの信徒への手紙3章21節~31節が、非常に理解しにくい文章になってしまいました。

この箇所の「信仰」を試しに、「(神の)真実」と読み替えて読んでみることをおすすめします。神は、「誰かから信頼され、信用されるに足る」お方ですから、「(神の)真実」と読み替えてみますと、この箇所でパウロが言おうとしたことが、もっとずっとよくわかるのではないかと思います。

また、ガラテヤの信徒への手紙2章15節から3章全体にかけて出てくる「信仰」についても、「真実」と読み替えてみると、わかりやすくなります。ただし、この箇所では「信仰」を私たちの側のものととらえて訳されているので、たとえば2:16の「イエス・キリストへの信仰」は「イエス・キリストの真実」というふうに、「ピスティス」が神かイエス・キリストに帰する言葉となるように、助詞も読み替える必要があります。


いかがでしょうか。この回答で不十分なようでしたら、また書き込んでください。

嵐の中でも

投稿者:
Shin
投稿日:
2011年09月04日 00時15分04秒

先週末から、台風のニュースがずっと流れ続けています。

昔から教会は船に例えられることがよくあります。この世の荒波の中にあっても、教会は、神さまに守られて、沈むことのなく目的地に向かって進んで行くことができるというです。

日曜日はイエス・キリストの良き知らせに耳を傾ける特別な日!いろんな嵐が私たちの人生に襲ってきますが、神さまの平安の中で、皆様の歩みが守られますように!

イエスの名

投稿者:
横山正和
投稿日:
2011年08月13日 17時35分23秒

ある古本の小説に坊主や聖者の言う「キリストイエズス」と庶民的な表現で「キリストさま」というのは違うのかという問答があった、作者はわざと滑稽な会話を主人公たちにさせていただけなのかもしれないが、ちなみに新約聖書には「その子の名をインマヌエルとしなさい」(マタ1-23、)ともある、(インマヌエルはアブラハムの子の名でもあるが)「神さま」でもいいと思うが「主よ」とも言う。ちなみに「万軍の主」とか「デーミウルゴス(造物主)」とも言える。