人生を変えるチャンス

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聖書の言葉

また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。

新約聖書 ルカによる福音書 13章4節-5節

吉岡契典によるメッセージ

世界で、戦争、干ばつ、地震など、そこで人が命を失うような事故や災害が起こる時、私たちは、聖書を通して、それを、どう捉えたらよいのでしょうか?ルカによる福音書13章4節には、エルサレムの町のシロアムの塔が突然倒れて、18人が恐らく下敷きになって死んだと書かれています。

この事故を語りながら、主イエスはこう問い掛けられるのです。「13:4 また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。13:5 決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」

この事故に際して、主イエスは、人々に悔い改めを求められました。悔い改めるとは、どういうことでしょうか?それは悔いて、改めるという、思い直し、反省するという、読んで字のごとくという言葉ではありません。辞書には、悔い改めるということについての以下の定義が記されています。「悔い改めるとは、それは、罪と正しさに関する、その人の態度と思想を完全に変えることによって、人生全体を変えることである。」

主イエスが言われるに、この事故は、被害に遭った人に罪や問題があったから、それへの天罰のようにして起こったのではなく、これは、この話を聞いている、あなた自身の問題なのだということです。ある場所で事故が起きた、世界規模で、あるいは個人の規模でも、不測の事態が起きた。その時それを、単にたまたま起こった不幸なニュースだと、それで流してしまわない。それを自分に関係させ、それによって、あなたのその人生が変わることが求められている、悔い改めが求められていると取る。そこには、あなたへのメッセージが込められており、それによって、あなたは、あなたの心と生き方を、新しい方向に変えるべきなのだ。事件・事故・災害を見る時、それは、あなたが悔い改めて、あなたが変わるべきためのものなのだと、主イエスは言われます。

霊的に考える、スピリチュアルに考えるということが時折言われますが、物事を霊的に捉え、考えるということは、実はこういうことなのだと思います。論理的に、また理性を用いて思考することをやめて、ただ霊の働きに委ねるとか、ただ何も考えずに心を無にして何かが降りて来るのを待つとか、そういうことが、スピリチュアルなのであり、霊的な洞察であるというのではないのだと思います。霊的に考えるとは、本当に理性的に考え抜くことです。それは、周りで起こっている事物をよくよく観察し、そして、そのうえで、それを自分の問題として捉えて、それを神様との自分の関係の中でも考え推し量って、悔い改める。自分の生き方を変える。よって、霊的な思考とは、本当に深い自己省察と、自己否定と、神様が促しておられる新しい方向性と回心への道を渇望して、深く深く、自分の心臓の鼓動が大きく聞こえてくるほどに、懸命に考え抜いて自分をえぐることであり、同時に、神様にえぐっていただきやすい自分になるという、それは信仰の汗を流しながら行う、時に胃に穴の開くような営み、に他ならないのではないでしょうか。

しかし私たちは、そのように自分と向き合うことがなかなかできません。他人の心を変えることは容易ではなく、自分が変えることができるのは、この自分自身の心でしかないという事実を私たちは、よく知りつつも、しかし、その事実から目を反らして、自分ではなく、他人についてあれこれ考えることに大変大きな時間と、ほとんどの思考力を使ってしまい、そうやって、自分を変えることを避けようとする、自ら、悔い改めを拒んでしまします。

しかし主イエスは私たちを、悔い改めや軌道修正の必要がないような、その意味での揺るぎなさへと、導こうとはされていません。そのような不動の人生があるとするなら、その人は主イエスの目から見れば、悔い改めを忘れた、滅ぶべき偽善者です。自分の人生に起こる色々な出来事によってはもちろん、自分の外で起こる様々な事柄へのアンテナを立てているからこそ、私たちは、そこから衝撃を受け、揺さぶられます。いつ私も病気になってしまうか分からない。いつ私も事故に巻き込まれたり、いつ南海トラフ大地震が来るやもしれないと心配し、恐れ、その時自分はどうなるのだろうかと動揺してしまうことは、今朝の御言葉から見て、決して悪いことではありません。

なぜなら、その不安や揺らぎが、悔い改めのチャンスになり、生き方を変えるチャンスになるからです。悔い改めは、希望です。私たちが悔い改めることができるということは、人生を方向転換し、やり直せるということだからです。暗闇が見えた時には、悔い改めて、光の方へ。もし目の前に死が見えた時には、悔い改めて永遠の命へと、私たちは向き直ることができる。不安の暗闇や死の影に落ち込もうとする時にこそ、私たちは、かえって悔い改めによって、神様へと自分を向けて、翻って、高く飛び上がることができる。この、神様に対しての霊的でスピリチュアルな方向転換が、私たちの人生に起こるなら、それこそが、不測の事態、大きな危機に出会う私たちに、主イエス・キリストが求めておられる、最も大切なことなのです。

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