それでも人は響き合う

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國安光によるメッセージ

おはようございます。淀川キリスト教病院の國安光です。最近、ハマっている漫画があります。富士屋カツヒトさんが描かれた『19番目のカルテ 徳重晃の問診』です。昨年ドラマ化もされました。この漫画を読みながら、人を診る医療について、教えられることが多々ありました。

19番目のカルテ、のタイトルの、19番目というのは、総合病院には、十八に細分化された専門医療のシステムがあり、18の専門分野の外にできた、総合診療科のことを表します。この漫画には、総合医療科を担う徳重という医師が登場し、患者の病気を診るだけではなく、患者その人そのものを診る視点で、患者の問題を紐解いてゆきます。

その徳重の言葉の一つにこんな言葉があります。

「医学的に心という臓器はありません。それでも人は響き合う。好きな人を見た時、心は高鳴り、誰かに傷つけられた時、瞳は潤む。あなたと私、その間に心は生まれる。」

私はこのセリフを読んだ時に、ふと思い出した出来事がありました。ある介護福祉士に、こんな相談をしたことがあります。

お年を召された患者さんの中には、「人の世話になるのが申し訳ない。迷惑をかけたくない。」とおっしゃる方が少なからずおられ、「そこでどう言葉をかけたらいいのでしょうか」

すると、その方は私にこういうことをお話くださったんです。「ぼくもまだ高齢体験はないから、経験的にはまだわからないことかもしれないことかもしれないけど、高齢になると喪失体験の連続なんやと思う。

若いうちは、学ぶこともできた、成長することもできた、友もできた、そうやって獲得していくけど、高齢になるとそれが一つ一つ失われていく、そして自分でできたこともできなくなって、人のお世話になる、そのときに、迷惑をかけて申し訳ない、という言葉でその人の内側から言葉が出てくるんだと思う。

そういうとき、ぼくはどうするかっていうとね、『ぼくもいまいろんな人にお世話になっていまがあります、自分一人じゃ生きられないんです』そうやって自分のことを話すようにしてる。

『そんなことはないです、大丈夫です』と言いたくなるけど、それでうまくいくこともあれば、かえって傷つけてしまうこともあるから、人って助けられる側、助ける側じゃなくって、お互い様ってことを自分のこととして話すようにしていて、そうすると何か変わっていくところがあるよ」

そう熱く語られたんです。お世話をする、というのではなくって、一人の人として患者さんから教えていただく、自分も患者さんから何かを受け取る人として、そばにいようとされる、そしてそこであなたと、私との間で響き合いによって生まれる心を大事にされる、その姿勢に、私は大切なことを教えていただきました。

私はそれからそのことを心に留めながら、患者さんと接するようにしています。先日、私がずっと関わっているクリスチャンの患者さんが、訪ねてこられました。外来の日に、月に一回、お話にこられます。その方からお手紙をいただきました。そこには最近ご自身が書いた短歌が記されていました。

患者さんは、私にこの短歌について、自分はずっと短歌を書きたかったけど、書けなかった。でも今、ようやく心が生まれて、その心から短歌が溢れ出してくるんです、こんなことをお話されました。

私はその方がおっしゃった「心」というのは、きっと私と、あなたとのかかわりによって響き合う中で、神様が与えてくださったものだと感じ、その方にお伝えしました。

すると「そうですね、こんな言い方をするのは語弊があるかもしれませんが、今心が満たされていて、これは病気のおかげだと思って、神様に感謝しているんです」こうおっしゃいました。

この方からこのラジオで証しとして紹介して良いとご了承をいただきましたので、短歌を紹介します。

「数々の試練が襲う中にある 私を包む「YCH」※YCHは淀川キリスト教病院の略称です。

この短歌の下には解説があり、

「昨年2月に難病が見つかり、3月から入院をして治療を始めたが、いくつもの超えられそうにない山を超えての戦いの日々であった。しかしそんな私に淀川キリスト教病院は寄り添ってくださり、いつも喜びと平安の中にいることができた。チャプレンがお話を聞いて、祈ってくださった。8階の病室を私は「天空の城」と呼んでいた。四方八方に桜が咲き、新緑が輝いていた。新幹線が通り、飛行機が青い空から次々と降りていくのが見えた。天国であった。」

私は人は響き合いの中で生まれる心は、人の生きるを変えていくものなのだということを、改めて教えられました。今日という日に、ラジオを聞いてくださっている皆様にも、どうか、お心に神様の恵みがありますように。「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」

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