愛は造り上げる
國安光
- 淀川キリスト教病院 チャプレン
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知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。
新約聖書 コリントの信徒への手紙一 8章1節後半
おはようございます。淀川キリスト教病院の國安光です。私たちはそれぞれ置かれた場所で、いろいろな声を聴いてきたのではないでしょうか。家族の声、友の声、地域の声、共に働く誰かの声を聴いてきたのではないでしょうか。
それぞれの声に響きがあります。励ましの響き、慰めの響き、前向きにさせてくれる、成長させてくれる響きがあります。そうではなく、自信を失わせる響き、疑いを起こさせる響き、不安にさせる響きがあります。疲れさせる響きです。
6月を迎え、忙しく、疲れが出てくる時期、私たちは疲れさせる響きに敏感になっている頃ではないでしょうか。
前に淀川キリスト教病院の元病院長であり、ホスピスをはじめられた柏木哲夫先生の講義を聴く機会がありました。柏木先生はその中で「ねぎらいの言葉」が大切であると言うことを力説されていました。
具体的には、お疲れ様!ご苦労様!と声をかけること。そう言うねぎらいの言葉があるだけで人は重い任務にも耐えられるし、しかし反対にねぎらいの言葉がなければどんな小さな働きも困難になるとおっしゃっていました。
私たちは一生懸命にやったけど失敗をすること、自分の弱さを思い、自信を失うことがあるかもしれません。自分の伝えたいことが思ったように伝わらず葛藤することがあるかもしれません。
それぞれに葛藤や疲れを覚える中で、誰かに心からのねぎらいの言葉をいただいたとしたらどうでしょうか。その一言で気持ちが前向きになれるかもしれません。
そのことを思いめぐらしながら、一つの聖書のみ言葉を思い起こしました。「知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。」(Ⅰコリント8:1)
知識と愛が対比されていますので、一見愛は良いもので、知識が悪いもののように読めます。しかしこれは知識か、愛かではなく、知識がよく用いられるには、愛がなくてはならない、と言うことです。
宗教改革者ジャン・カルヴァンが興味深い解説をしています。「愛がないときには、知識は、気のぬけた・味のないソースのようなものである。」
実は私はかつてイタリア料理のシェフをしていました。料理人は、心を込めてソースを作ります。ソースの味が料理のすべてだからです。プロの世界では、味のないソースは捨てるしかありません。
愛のない知識もそれと同じだと言うのです。なぜなら愛のない知識は人を高ぶらせるからです。高ぶりによって、人を見下すようになります。やがて人を裁くようになります。そう言う知識は、人を造り上げるのでなく壊します。
藤木正三という牧師が短い随想を書いておられます。「正論と愛」と言うタイトルです。紹介します。
「わかっていて止められないのです。浅ましいと思いながら執着するのです。どうでもよいことに意地をはるのです。この人間の愚かさ、弱さ。それに甘えてはなりません。しかし、道理の通った正論でこの弱さをさばかれてはたまらないのも事実です。正論とは、道理は通っているが人間にとどいていないせっかちさです。道理は通っていないが人間に届いているゆるやかさ、それを愛といいます。道理が通っていないという理由でこれを斥けてはなりません。人間の弱さに対する洞察において、正論は遠く愛に及ばないのです。」
特に、私は最後の、「人間の弱さに対する洞察において、正論は遠く愛に及ばないのです。」と言う言葉にハッとさせられます。まさに「愛は造り上げる」のです。
ただ私たちは愛の足りないものです。愛することにおいて、失敗します。知識と愛のバランスが悪いのです。だからこそ私たちは聖書に聴く必要があります。
聖書は教えています。「神は愛です。愛にとどまる人は、神のうちにとどまり、神もその人のうちにとどまってくださいます」(ヨハネ一4:16)と。
聖書はイエス様の十字架を差し出します。イエス様のもとで、私たちは何度も自分の愛のなさを思い知らされます。その度に「あ〜だめだ」と思わされますが、神様は十字架のもとで私たちに「あなたを愛する」と語ってくださいます。
神は私たちが神を愛するよりも前に、私たちを愛しておられるお方です。神の愛に止まるなら、私たちは人を造り上げることができます。
最初にねぎらいの言葉が大切だと言うことをお話ししました。柏木先生はもう一つ、できればそこにもう一言、例えば「この点が勉強になりました」「~が整理されていて感謝でした」など、何か一つ加えるとよりよいともおっしゃってくださっていました。
上手じゃなくてもいい、一言でもいいのだと思います。神の愛の響きがそこにあるなら、その一言が誰かの今日の支えとなることでしょう。
しかしその一言もなかなか難しいかもしれません。大切なことは誰かのよいところを見つけようとする姿勢です。言葉が足りなくても、よいことを見ようとするまなざしを通して、愛は伝わるものです。
「知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。」