うその言葉と本当の言葉

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聖書の言葉

主の仰せは清い。土の炉で七たび練り清めた銀。主よ、あなたはその仰せを守り、この代からとこしえに至るまでわたしたちを見守ってくださいます

旧約聖書 詩編 12編7節-8節

西堀元によるメッセージ

たかが言葉です。でも言葉で深く傷つけられることがあるのではないでしょうか。もしも棒で叩かれたりすれば怪我をして、大変なことになります。それに対して嫌な言葉は私たちの体は傷つけないかもしれません。でも心の奥に深い傷を残す言葉があるのだと思います。心の深くに突き刺さって抜けない痛い言葉もあるのではないでしょうか。

また言葉は私たちを傷つけるだけでなく縛って動けなくすることもあります。「あなたは失敗を必ずする」と言われると、その言葉がまるで呪いの言葉のようになって私の生活を縛ります。どこに行ってもその言葉が頭から離れない。とても暗い気持ちになるのではないでしょうか。たかが言葉です。でも言葉はとても大事なものです。言葉によって私たちは生活を作り上げています。だから言葉に嘘や暴力が混じるなら、生活に綻びが出てくるのではないでしょうか。

聖書にも言葉によって傷つけられた人の話が出てきます。冒頭でお読みしたところのすぐ前にこうあります。「人は友に向かって偽りを言い、滑らかな唇、二心をもって話します」人が友人に向かって嘘を語る。そして二心で話すのです。口で話していることと、実際思っていることが全然違うのです。表の心と裏の心があるのです。そのように語る人は嘘をつかうことで相手を失敗させようとするのです。さらに束になってその人たちは迫ってきます。「舌によって力を振るおう。自分の唇は自分のためだ。私たちに主人などいない」。一人でなく集団で嘘をつくのです。嘘つく人たちによって窮地に追い詰められている。さらに彼らは自分は嘘をついてもいいんだと開き直って、自分の力を誇っています。

今はインターネットが発達して一昔前よりも嘘の言葉や人を攻撃する言葉が増えているのかもしれません。聖書にこんな言葉もあります。「舌を制御できる人は一人もいません。下は、疲れを知らない悪で、死をもたらす毒に満ちています。私たちは舌で、父である主を賛美し、また、舌で、神にかたどって造られた人間を呪います。同じ口から賛美と呪いが出てくるのです」(ヤコブ3:8、9)。私たちは人を傷つける言葉を耳にすることがあると思います。同時に自分のことを振り返って考えてみると、私自身も人を言葉で傷つけてしまうのではないでしょうか。自分は誰も傷つけることはないといえる人はいないのだと聖書は言うのです。

この詩人は傷つく言葉によって追い込まれ「人の子から信仰のある人は消え去りました」と嘆いています。言い換えるならこの人はできるだけ自分は正しく生きようとしたのです。神様を信じて正しく生きようとしたのです。でも正しく生きようとするためにかえって損をしたり、苦しみを受けないといけないのです。この人は苦しむだけで終わりでしょうか。そうではなかった。苦しむ人を神様は放置されないからです。神は言われます。「虐げに苦しむ者と、呻いている貧しい者のために、今、私は立ち上がり、彼らがあえぎ望む救いを与えよう」。神様は真理でもあるお方です。嘘をそのままに放置されることはありません。

「主の仰せは清い。土の炉で七たび練り清めた銀」。金属を精錬するときに、高温にすることで不純物を取り除く。神様の言葉は不純物の混じっていない高価な金属のようだと言うのです。私たちは毎日、洪水のように沢山の情報や言葉に接することがあると思います。でもほとんどの言葉が流れて消えていってしまいます。ゴミ捨て場の古新聞のように私たちの接する多くの言葉は生まれてはすぐに消えていきます。でも消えずに残っているのが古典です。歴史のフィルターを通して残されてきたのが古典です。その中でも飛び抜けているのが聖書です。金属を精錬する炎を通り抜けたような純粋な言葉が聖書の言葉なのです。

私たちは何を頼りにしたら良いのか難しい時代を生きているように思います。これまで自分が確かだと思っていた物や価値観が大ききく変化していく時代の中を生きているように感じます。ある人はお金よりも混じり気のない金の方が確かだと言って自分の財産を金に換えて守ろうとします。ここで詩人はそんな価値ある貴金属よりも神様の言葉が価値ある確かな物だというのです。どうしてそこまではっきり言えるのでしょうか。

それは神様は約束を守ってくださるからです。「主よ、あなたはその仰せを守る」と詩人は言います。神様はただお語りになるだけでなく、語られた言葉を守ってくださるのです。私たちは口だけの約束になってしまうことがしばしばあります。人間は言葉と行いが一致しないことがしばしばです。私たちの語る言葉は虚しく消えてしまうことがしばしば起こります。しかし神様は「その仰せを守る」のです。だから私たちは神様の言葉に信頼して良いのです。

そんな神様の言葉は聖書に記されています。その中で一番大事なことの一つはイエス・キリストのことです。はるか昔、神様は罪を犯した人間に救い主を送ると約束してくださいました。聖書の始まりの創世記に記された人類の始祖アダムに対してです。この約束はイエス・キリストが地上に生まれてくださった時実現しました。最初の約束と実現の間に途方もない時間が流れました。人間ならとっくに忘れてしまうほどの期間です。しかし神様の言葉は真実です。約束通り神様は救い主を地上に送ってくださいました。イエス・キリストが地上にきてくださったクリスマスの出来事を聖書は次の言葉でも表しています。「言は肉となって、私たちの間に宿られた」(ヨハネ1:14)。神様は私たちを罪と滅びから救おうとイエス・キリストを地上に送ってくださいました。不確かなことが多いこの世界で、神様の言葉こそ私たちが心から信頼して良い確かな言葉です。

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