天国に財産を積もう

あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。
新約聖書 マタイによる福音書 6章19節-20節
子供の時に好きなおもちゃがありました。チョロQというものです。プラスチックでできた小さな車で後ろに引っ張って話すと勢いよく前に走っていく車のおもちゃです。当時友達の間でとても人気でした。私もこのおもちゃが好きで、かなりの数のチョロQを持っていました。ゼンマイを改造して早く走らすように考えてみたり、おもちゃ屋さんでやっているレースにとっておきの一台で競争に出たりしていました。
流石に中学生になってチョロQはやめようと思いました。理由は覚えていないのですが、大事な一台を町外れの小さな山道の壁になったところにあった穴にとっておきのチョロQを隠しました。大人になったら見つけようと、ガラスの瓶に入れて穴の奥の方に押し込みました。地図を書いたのですが、いつからかなくなってしましました。先ほどお読みしたすぐ後で「あなたがたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ」とイエス様が言われます。小学生の私の富と心がチョロQにありました。皆さんはどうでしょうか。私たちの財産は、私たちが心を置く場所によってそれが何であるのかが決まってくるようです。
私たちは子供から大人になるときにいろいろな力を身につけていきます。学校で勉強することで、解けなかった問題が解けるようになったりします。難しい本も理解できるようになります。ある人は運動が得意です。走ること、泳ぐこと、ボールを蹴ることが得意かもしれません。スポーツの選手になる人も同級生の中にいた人もいたのではないでしょうか。そして学校を卒業して社会に出ていきます。最初は大変だった仕事も年齢を重ねるにつれて責任ある仕事を任される人も出てきます。そしてある人はマイホームを手にいれ、結婚をして、子供が与えられる人もいるでしょう。
でもある時、自分は歳をとっていくことに気づきます。若い頃の自分と今の自分は同じではない。歳を取っていく。そしてできることよりもむしろできなくなることが出てくるのです。あんなに一生懸命勉強したのに、忘れるのは簡単です。若い頃にあった体力もなくなっていきます。昔は走れたはずなのにと私も最近思うことがあります。そして無理を重ねると病気になることもあります。そしてある年齢で私たちは仕事をすることを辞めるようになります。それまで職場で持っていた肩書も仕事を辞めるとなくなるのです。だんだんと失っていくのです。
育ててきた子供も自分の手元から巣立っていくでしょう。夫婦で暮らしていても、どちらかが先に病気になって一緒に暮らすのは難しくなる時がいつか来るでしょう。自分自身もやはり最後には歳をとることで、それまで手に入れてきたものを一つ一つ手放していかなければならない。動くことも難しくなる人もいらっしゃるでしょう。どうも朝から少し暗い話になってしまったかもしれません。私たちは今お話しした人生の中のどこかにいるのではないでしょうか。そしてずっと先を考えると暗い気持ちになる。でも聖書は暗くならない方法があるのだと教えています。
イエス様は言われます。「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする」。ここでは当時の財産として大事だった、高価な洋服や金や銀などのお金のことが言われています。しかし先ほどご一緒に考えた私たちが人生の中で手に入れていく色々なものも、イエス様がここでおっしゃった「富」と同じように考えて良いと思います。やはり私たちが人生を一生懸命手に入れようと願っているものもいつかは朽ちてなくなってしまうものなのです。だからイエス様は「天に富を積みなさい」と言われます。でもどうしたら天国に富を積めるのでしょうか。天国までどれほど距離があるのでしょう。天国に銀行があってこちらから送金ができるのでしょうか。
こんな話を聞いたことがあります。ある人が二つ銀行の口座を持っている。一つの口座は自分の給料だったり、電気料金などの引き落としの口座です。これは私たちが普通に持っているものです。皆さんも持っているものと同じです。ただし、その人のもう一つの口座を持っています。その口座は献金専用の口座です。そこから教会だったり慈善団体などに献金だけをしているのです。この話を聞いた時、ある意味この献金だけの口座が「天に富を積むこと」かなと思いました。なぜなら聖書には他の箇所で「弱者を憐れむ人は主に貸す人。その行いは必ず報いられる」(箴言19:17)とか、イエス様も「自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい」(ルカ12:33)と言われているからです。貧しい方達に施すことが天に富を積むことだとイエス様は教えているのです。
でもイエス様が言われた天に富を積む方法は難しいように思えます。やっぱり自分のものは自分のものであって欲しいからです。せっかく努力して貯めたお金は自分のためだと思うのです。しかし私たちを愛してくださっている神様の愛を知ると変わることができる。神様は私たちを愛して、私たちのためにひとり子イエス様をくださったのです。そしてイエス様が私たちのために十字架で死んでくださることで私たちに罪からの救いを与えてくださったのです。そしてイエス様は三日後に復活されました。今日は教会ではイエス・キリストの復活を祝う復活祭の日です。信じる人には神様からいただく永遠の命が約束されている。最高のプレゼントではないでしょうか。この恵みを知るとき、これは僕だけのものだという心の壁が壊され、私たちを縛っていた「富」からも自由にされていくことでしょう。