新しい出発

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聖書の言葉

信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。

新約聖書 ヘブライ人への手紙 11章8節

宮武輝彦によるメッセージ

冒頭からわたくし事で恐縮ですが、わたしが、生まれ故郷広島から関東にある大学に入学するために、一人暮らしを始める準備をしていた春先のことです。ふと新聞の目にとまった求人公告を見て新聞店で住み込みの生活を東京の下町、亀有で始めることになりました。それまで家庭と学校と教会という限られた環境の中で生活をしていましたが、大学と教会で新しい出会いを与えられ、色々な人びとに触れたことはわたしにとって貴重な経験となりました。

当時、広島教会で、日曜日の礼拝に通っていたのですが、あるとき、その当時の牧師、吉岡良昌先生から、『アブラハムの生涯』(森有正著)という本をいただきました。おそらく、吉岡先生は、わたしが大学受験でいろいろとなやんでいることを知っておられ、また、もしかしたら、広島から出ていくことになるのではないか、と案じて、祈っておられたのではないか、と思います。それは、アブラハムは、信仰の父として知られる人ですが、その信仰は、神さまの御言葉に従うことにおいて、生まれ故郷を離れた人であるからです。

旧約聖書の創世記において、アブラム、後のアブラハムを、このように、主なる神さまから、呼ばれたことが伝えられています。

「主はアブラムに言われた。『あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にしあなたを祝福し、あなたの名を高める祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福しあなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る。」

アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。アブラムは妻のサライ、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、ハランで加わった人々と共にカナン地方へ向かって出発し、カナン地方に入った。

アブラムはその地を通り、シケムの聖所、モレの樫の木まで来た。当時、その地方にはカナン人が住んでいた。主はアブラムに現れて、言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。」アブラムは、彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。

アブラムは、そこからベテルの東の山へ移り、西にベテル、東にアイを望む所に天幕を張って、そこにも主のために祭壇を築き、主の御名を呼んだ。アブラムは更に旅を続け、ネゲブ地方へ移った。」(創世記12章1~9節)

アブラハムにとって、「生まれ故郷」を離れるとは、住み慣れた土地を離れることであり、親族と国に別れを告げることでした。

アブラハム自身、この時すでに七五歳でした。しかしながら、命令されたお方は、主なる神さまです。「わたしが示す地に行きなさい」との、神さまの声に、アブラハムは聞き従ったのでした。また、神さまの言葉には約束がともなっていました。そして、行く先で、神さまの自ら進んで礼拝するために祭壇をきずいたのでした。

それは、神さまが、アブラハムにおいて、新しい出発を与えることによって、ご自身の救いの歴史、神さまの国、恵みの支配のはじまりを告げる瞬間であったのです。それは、さらに、創世記において、アブラハムにしめされた、神さまの命令と約束において、明らかになります。

「アブラムは尋ねた。「わが神、主よ。わたしに何をくださるというのですか。わたしには子供がありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです。」アブラムは言葉をついだ。「御覧のとおり、あなたはわたしに子孫を与えてくださいませんでしたから、家の僕が跡を継ぐことになっています。」見よ、主の言葉があった。「その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が跡を継ぐ。」主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」(創世記15章2~6節)

年老いたアブラムに、子どもが生まれること、そして、その子の子孫が、星の数のように増え広がると約束されたのです。

事実、アブラハムと妻サラの間に、その子イサクが与えられました。そのとき、アブラムは、アブラハムに、妻サライは、サラに名前を変えるように命じられ、また、新たな生活が始まるのです。アブラム百歳、サラ九十歳のときでした。それは、人間には到底不可能なことを、命の源でいます、生ける神さまが実現してくださった、まさしく恵みの出来事でした。

新約聖書のマタイによる福音書の冒頭、「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図」とあります(1章1節)。それは、アブラハムに立てられた救いの約束が、のちのイスラエルの王ダビデに立てられた救いの約束の更新を得て、ついに、イエス・キリストの誕生において、一つの実現を見たことを、物語るものです。

そして、「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」との、ユダヤのガリラヤでの主イエス・キリストの声は、最初に、アブラハムに約束された、神さまの救いの恵みが、ついに、イエス・キリストの到来において、すべての人に近いものとなったことを告げるものです。そして、わたしたちを、罪と恐れの支配の中から離れて、イエス・キリストの救いの中へ導き入れるのです。今日から、イエス・キリストの声に聞きしたがって、新しい生活をはじめてみませんか。神さまは、あなたをいつも呼んでおられます。

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