嘆きに耳を傾けてくださる主
わたしは主を愛する。/ 主は嘆き祈る声を聞き/
わたしに耳を傾けてくださる。/ 生涯、わたしは主を呼ぼう。
死の綱がわたしにからみつき/ 陰府の脅威にさらされ/ 苦しみと嘆きを前にして
主の御名をわたしは呼ぶ。/「どうか主よ、わたしの魂をお救いください。
旧約聖書 詩編 116編1-4節
皆さん、おはようございます。日曜日の朝、いかがお過ごしでしょうか。今日も1日、神様の祝福と平安が豊かにありますように。
一週間に一度、保育園で子どもたちにお話をする機会をいただいています。「体の部分」から一つずつお話ししているのですが、子どもたちも楽しく聞いてくれています。「耳」についてのお話を考えているとき、興味深い情報に触れました。「虫の声」や「風の音」「木々の葉が擦れる音」などを「声」として聴くのは、世界で見れば珍しいのだそうですね。そこに意識が向かなければ、私たちは、その「声」を、ただの「音」として無意識に処理するそうです。
【耳を傾けることは心を傾けること】
ある映画で、子供がテレビを観ているシーンがありました。キッチンからお母さんが「お風呂に入りなさい」と語りかけるのですが、子どもはテレビに夢中で応えません。やがてお母さんに怒られるという、ありふれたシーンです。心がそこに向かない時、私たちは大切な「声」も「音」として聴こえないことがあります。お母さんからすれば、大切なことを伝えているのに、耳を傾けてくれないことに怒るのは当然のことです。逆に言えば、相手が耳を傾けてくれるとき、私たちの心には感謝が生まれます。神様と私たちの関係でも、同じことが言えます。
【:1〜2)神は耳を傾けてくださる】
先ほどお読みしました詩編116は、嘆きに耳を傾けてくださる主なる神様への感謝の詩です。「ハレル詩編」とも呼ばれ、ユダヤ人の祭儀の時にも歌われた賛美の詩です。1節、詩人は主なる神様への愛の告白を歌います。「わたしは主を愛する。 主は嘆き祈る声を聞き わたしに耳を傾けてくださる。 生涯、わたしは主を呼ぼう。」いくつかの英訳聖書では、「なぜなら主は嘆き祈る声を聞き わたしに耳を傾けてくださるから」と訳しています。
辞書を調べてみますと、「愛する」の反対語は「憎む」だそうです。しかしもう少し調べてみますと、マザーテレサが残した言葉で、「愛の反対は憎しみではなく、無関心である」という言葉が見つかりました。心を向けない、嘆きに耳を傾けない、それが愛の反対語である、というのです。しかしこの詩編の作者は、主は嘆き祈る声を聞き わたしに耳を傾けてくださる、という確信を歌います。「耳を傾けてくださる」それはただ耳を向ける、というのではなく、心を向けてくださっている、という確信です。世界のすべてを造られた方が、わたしに身を屈めるように目線を合わせ、祈りの声に聴いてくださり、愛を注いでくださる。詩人はその確信を歌います。
【:3〜4)祈りを聞いてくださる主に祈れる喜び】
3〜4節、詩人は「死の綱がわたしにからみつき 陰府の脅威にさらされ 苦しみと嘆きを前にして 主の御名をわたしは呼ぶ。『どうか主よ、わたしの魂をお救いください。』」と歌います。「死の綱」とは、「罠」を意味する言葉です。逃げることのできない死の罠にとらわれたとき、人は絶望します。詩人もそんな絡みつくような恐れの中にあったことを告白します。しかし詩人は絶望していません。「どうか主よ、わたしの魂をお救いください」と詩人は祈ります。どんな絶体絶命の絶望にいても、魂をお救いくださる主の御業への信頼の言葉です。
詩編には「嘆きを聞いてください」というあらゆる声が記されています。神様は聖書を通して、私たちの嘆きの声を聞いておられることを示しておられます。決して「雑音」として聞き流されるのではない。心を向けて受け止めておられる。だからこそ、私たちは安心して、祈ることができるのです。
【私たちに与えられた耳】
そして私たちも、大切な声を聞く「耳」があります。主イエスは、ヨハネによる福音書10章3〜4節で、「わたしの羊はわたしの声を知っており、わたしの声を聞き分ける(ヨハネ10:3-4)。」とおっしゃいました。羊には、羊飼いの声を聴き分けることできる特徴があるそうです。羊飼いである神様の声には、私たち一人一人に注がれる愛が溢れています。今朝も教会では礼拝が行われ、主イエスを通して示された、神様の愛の語りかけが行われています。あなたも、心の耳を澄まして、神様の大切な声に耳を傾けてみませんか。そこに、あなたの嘆きを受け止めてくださる神様の声があります。
今週一週間の皆さんの歩みに、神様の祝福と平安が豊かにありますように。
いってらっしゃい。