主は羊飼い

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聖書の言葉

1【賛歌。ダビデの詩。】

主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。

4死の陰の谷を行くときも

わたしは災いを恐れない。

あなたがわたしと共にいてくださる。

あなたの鞭、あなたの杖

それがわたしを力づける。

旧約聖書 詩編 23編1節,4節

金原堅二によるメッセージ

この御言葉は、「主は羊飼い」という言葉から語り始めています。神様のことを「羊飼い」、そして自分のことを「羊」と語っているわけです。古来から、羊は弱い動物とされていました。他の獣に襲われれば食べられてしまいますし、目が悪くて迷いやすい動物でもあります。そんな羊に自分を重ねるということは、どういうことか。それは、自分が神様の恵みにより頼むのでなければ、何もできない、ただ神様の恵みに満たされるだけの存在である、と告白することです。自分自身は、神様の恵みに依り頼むのでなければ、もう何者でもない。けれども、そんな自分が、どこまでも平安に満ちて「全てにおいて満たされている」と言うことができるのは、ただ神様の恵みが私を満たしているからだということなのです。この詩編は、そのような神様に対する美しい信頼を歌っています。

しかし、このように美しい表現で感謝と信頼を歌っている詩人にとっても、この地上の歩みは、喜びや楽しみだけの歩みではなかったようです。4節を見ると、「死の陰の谷」という表現が出てきます。詩人にとっても、時として苦難が襲ってくることがあり、まるで「死の陰の谷」を歩いているかのような暗い歩みをしなければならない時もあった、ということがわかります。

実際にパレスチナには深い谷があって、猛獣がそこに潜んでいることがありました。猛獣に出くわすと、羊は死の危険にさらされます。詩人は、そのような死の陰の谷を行き、実際に死を覚悟しなければならないような危険にさらされることもあったわけです。それでも、詩人は「わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる」と語っています。つまり、試練の時にも神様は決して私を見捨てることがない!そんな確信がここで言い表されているのです。その根拠は、「あなたがわたしと共にいてくださる」からです。

この世の旅路を歩むということは、明るい道のりばかりではありません。時として、死の陰の谷を行くような苦しみを背負うことがあります。病を得ることがあります。高齢を得て身体が思うように動かせないこともあります。家庭の破れ、人間関係の疲れ、争いや対立にさらされた社会に恐怖を覚えることがあります。ただ単に、「信じているから全てがうまくいく」といったような、綺麗事では済まない現実が、私たちを取り巻いているのではないでしょうか。そのような現実を目にしながら、「わたしは災いを恐れない」と言って憚らない、そんな様子を見ると、もしかしたら「この詩人は楽観的なのではないか」という感想を抱かれるかもしれません。

けれども、この詩人は決して、ただ楽観的な思いから、現実に目を背けて「私は災いを恐れない」と言っているのではないのです。現実から目を背けているのではなく、ただこの詩人は、「何が最も恐ろしいことなのか」を見つめているのです。暗闇の中でも、希望を失うことなく、安心して前に進むことができるのは、「あなたがわたしと共にいてくださる」からだと言っています。つまり、私たちにとって最も恐ろしいことは、神様が共におられないということです。いちばんの闇は、神様を失うことなのです。

しかし、私たちの神様は、「死の陰の谷」においても共にいてくださるお方です。イエス・キリストを与えることで、私たちに愛を示してくださるお方です。そのイエス様に導かれて、私たちもまた「死の陰の谷」においても恐れずに、希望と確信をもってどのような苦難にも立ち向かうことができます。

先ほどは読みませんでしたが、続く5節にも触れておきたいと思います。5節では、こんなことが言われています。

5わたしを苦しめる者を前にしても

あなたはわたしに食卓を整えてくださる。

わたしの頭に香油を注ぎ

わたしの杯を溢れさせてくださる。

ここでは、羊飼いである神様が、豊かな食事を整えてくださる様子を歌っています。私たちには、ふと現実の生活に目を向けると、自分を苦しめようとする敵に囲まれている、ということが起こり得ます。私たちは、それぞれ様々な思い悩みを抱えていますし、また、後悔してしまうような罪を犯すこともあります。そこで、神様との交わりを奪おうとする様々な力が働きます。けれども、私たちの主である神様は、絶対に崩すことのできない祝福で私たちを包んでくださって、主の食卓にあずからせてくださるのです。イエス様の救いの恵みを豊かに味わうことができるように、飲んでも飲んでも飲み尽くせないほどの恵みの杯で満たしてくださるのです。

私たちの人生の道のりは、確かに明るいばかりではありません。けれども、主が私たちの羊飼いであるということが、どんな道のりをも明るく照らすのです。「主は羊飼い。私には何も欠けることはない」。ここに、私たちのすべてがあります。イエス・キリストを羊飼いとして持つということが、私たちの魂を生き返らせるのです。

さらに、この祝福は、地上生涯を明るく照らすばかりか、その先に至っても決して失われることはありません。「死の陰の谷」とありましたが、文字通りの、肉体の死でさえ、この希望を奪い去ることはできないのです。私たちは、いずれ地上の生涯を終えて眠りにつくときがきます。けれども、肉体の死を迎えても、私たちの命は神様から離れることがありません。イエス様に結ばれている限り、永遠に祝福のうちに置かれている。そんな希望が与えられているのです。

肉体の死でさえも超えていく、命の恵みが私たちを明るく照らしています。神様は、そのような祝福を「あなたが」受け取ることを願っておられます。ぜひ、礼拝の場で、イエス様の温かい恵みに触れていただきたいと願っています。

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