ディアコニアに生きる教会

「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分より優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」。(フィリピの信徒への手紙2:3,4)
新約聖書 フィリピの信徒への手紙 2章3節-4節
おはようございます。但馬みくに教会の吉田実です。皆様は「ディアコニア」という言葉をお聞きになったことがありますでしょうか。ディアコニアとはギリシャ語で「愛の奉仕」を表します。キリスト教会は聖書の教えを宣べ伝えると共に、昔からこの愛をもって隣人に仕える「ディアコニア」を大切にしてまいりました。「ディアコニアがなければキリスト教会ではない」と言っても良いほど、キリスト教会にとってディアコニアは大切なものなのです。なぜでしょうか。いろんな言い方が出来ますが、そもそも聖書の神様御自身がディアコニア的なお方、すなわち愛をもって仕えてくださるお方ですので、神様に似た者として造られた人間は、特にキリストの体なる教会は、「愛の奉仕」であるディアコニアを大切にするのですと、申し上げたいと思います。聖書の初めを読みますと、神様が何もない状態からこの世界を造ってくださって、全て環境を整えてくださって、最後に人間を造ってくださったということが分かります。つまり神様は、最初から人間のために愛をもって仕えてくださったのです。そしてそんな神様にかたどって造られた人間は、神様を愛し隣人を愛し、神様と人と世界に愛をもって仕えるということが求められました。けれども人間はそんな神様に逆らって罪を犯し、堕落して罪人となってしまいました。しかし神様はそんな人間をなお愛してくださって、救いのご計画を立ててくださって、旧約聖書の歴史を導いてくださって、ついに御自身の独り子を救い主としてこの世に遣わしてくださいました。イエス様は神であるにもかかわらず真の人間としてこの世に生まれてくださって、人間の身代わりとなり人間の罪を全部背負って十字架の上で裁かれ、死んで、三日目に蘇られました。そのようにして人間に救いの道を開いてくださったのです。聖書の初めを見ますと最初の人間は、悪魔の使いである蛇に騙され、神のようになろうとして罪を犯したことが分かります。人間が神のようなろうとする「究極の傲慢」によって堕落した人間を救うためには、反対に神であるお方が人間となって、十字架に掛けられ最も低いところにまで落とされるという「究極の謙遜」が必要だったのです。そしてこのイエス・キリストを信じて全ての罪を赦されて救われ、永遠の命を与えられた者たちは、感謝して主イエスに倣って神と隣人を愛し、神に仕えて心からの礼拝を捧げ、隣人に仕えて福音を宣べ伝え、ディアコニアを実践することが求められるのです。すなわち、キリストが私たちのために命を捧げられたように、キリスト者も隣人のために命を捧げること。今日の箇所にもある通り、「へりくだって相手を自分よりも優れた者と考え」仕えることが求められているのです。この「相手を自分よりも優れた者と考え」る、ということは、能力のことではありません。「わたしなど、あなたにはとてもかないません」と、お上手を言うことではなくて、人間としての存在価値において「相手を自分よりも優れた者」と考えて、愛をもって仕えることが求められているのです。そんなことが可能だろうか。もしもそんなことをしたら、自分の人生はめちゃくちゃになるのではないかと思われる方もおられるかもしれません。けれども、例えば赤ちゃんを育てている母親のことを考えてみればよく分かります。乳飲み子を育てる母親は、自分のことは我慢して、赤ちゃんのことを最優先して子育てに励みます。食べたいものや飲みたいものも赤ちゃんに良くないものは我慢して、やりたいことも我慢して、おっぱいをあげながら子育てに励むのです。そしてそういう母親の姿が、人として美しく輝いて見えます。赤ちゃんをほったらかして、おしゃれをして遊びに行ってしまうような母親は、いくら綺麗にお化粧をしても、人として輝いているとは言えません。このように、愛する者のために自分を捧げ、相手の存在を自分よりも優れた者と考え愛をもって仕えるということは、人間が本当の意味で人間らしく輝くための秘訣なのです。人間は最初からそういう者として造られたからです。ですから、イエス・キリストによって新しく造り変えられた者たちは、神を愛し隣人を愛し、神様を心から礼拝することと、隣人を愛して仕えること。特に悲しんでいる人、悩みや孤独の中にある人たちのために主の愛をもって仕えることが求められるのです。とかくこの世の価値観と秩序の中では、強い人が弱い人を力で支配して仕えさせる、ということが起こりがちです。けれども神の国の価値観と秩序では反対に、力あるものがへりくだって、弱く小さな人のために仕えるのです。もちろん私たちは不完全ですけれども、意識してこのディアコニアに生きようとしています。是非お近くのキリスト教会の日曜礼拝にご出席ください。互いに愛をもって仕え合うことを真の喜びとする、素敵な人たちと出会えるに違いありません!